【26年の人生を語ります】荒れ狂った家庭で味わった泥沼のような絶望。乗り越えた先に見えたものとは。

こんにちは、セト(@se__t3)と申します。

今までずっと触れてこなかった私の過去について、ここで少しお話ししようと思います。

正直、過去について書くかどうかをずっと悩んでいました。

今でこそ笑って過ごせていますが、本当に泥をすするような思いばかりしてようやく這い上がることができた人生です。

鬱を発症し、幻聴や幻覚、身体の震えまで起こす体にムチを打って、お金を稼がなければならなかったり。

働くことが限界に達して、心や体を切り売りするような経験もしました。

生きることをやめようとしたこともあります。

では、なぜ書いたのか。

それは、こんな過去を送った人でも今は真っ当に生きて笑顔で過ごせているよ、と前向きな話を届けたいからです。

苦しみ抜いた経験から伝えられることもたくさんあると思っていて。

いまを苦しんでいる人、挫けそうな人に少しでも勇気を与えられたらという思いで、過去について書くことを決心しました。

ですので、ネガティブ大爆発みたいな内容ではありません。

安心してください(笑)

事実は事実として話しますが、全て話すわけではなくオブラートに包みつつ。

過去の経験から生まれた私の学びや価値観など、ポジティブな内容は最後の方に書いてありますので、話が重すぎる!って思ったらパーっと最後だけ読んでもらえればと思います。

わたしの生まれた家庭環境について。

私は虐待のある家庭で生まれました。

また、生活保護にお世話になることはありませんでしたが、そこそこに貧しい家庭でした。

今思えば、親もまた特殊な家庭環境で生まれているので、それも原因なんだろうと思います。

年の離れた兄も1人いるのですが、彼もまた心の歪みを抱えていたのか、非行を繰り返すような人でした。

家族であったとしても、勝手に人様のことを書き連ねるのはよくないことと思っているので、家族のことはあっさりした説明で終えますね。

自分が壊れていくことが怖かった中学生時代。

私にとって唯一の味方は祖母でした。

唯一、家族のように接してくれました。

私の尊敬する人です。

しかし10歳の時に、だいすきだった祖母を亡くします。

当時は自分を客観視なんてできなかったから分からなかったけど、私の心のバランスが崩れたのはこの時から。

おまけに家庭の状況は兄の非行によりどんどん悪化していましたし、学校での集団生活も苦手だったので居場所も味方もいない日々。

中学に上がったタイミングで、完全に私は壊れてしまいました。

幻覚や幻聴、体の震え、嘔吐、自分を傷つけたい衝動。

そんな症状と戦っていました。

しかし、親は精神疾患に理解がまったくなかったため、全て甘えだと罵られていました。

我が家はへんな根性論がまかり通っていて、そもそも体調が悪くても基本的には病院に連れて行ってはくれないスタンスでして。

そりゃ、心の病気なんて余計に理解できないよな…と今では思います(笑)

学校側からは、精神科に行くことを勧められていましたが、そんな環境のために適切な処置も受けられませんでした。

親の指導方針のもと、学校には無理やりでも行かされてました。

しかし、教室で普通に授業が受けられるわけもなく、現実はほぼ保健室登校。

先生と個別でコミュニケーションを取ることも苦手だったので、勉強は全て教科書のみの独学で過ごしました。

幸いにも、勉強だけは躓くことなくそこそこにできたので、受験には困ることなく、高校に入学することができました。

生きることを諦めかけた高校生時代

我が家は、高校に入ったら生活費は自分で稼がなければならないルールなので、アルバイトを始めます。

しかし、鬱の症状を抱えた私がろくにバイトを続けられるわけもなく、辞めては新しいバイトを探しての繰り返し。

自転車で通える距離の高校を選択したため、定期代がかからないのが救いでしたが、携帯代や交際費のために身体にムチを打って働きました。

そんな日々を過ごすなかで、わたしは生きることをやめようと行動にでました。

一生こんな生活が続くなんてお先真っ暗だと思ったから。

まあ、結果は失敗に終わったから、いまこうなってブログを書いているわけですが…

17や18そこらで絶望を訴えたところで、思春期特有の絶望と括られてしまいそうですが、年齢など関係なくわたしが抱えていくには重すぎる人生でした。

少しずつ何かが変わり始めた大学時代

亡くなった祖母の積立貯金もあり、なんとか大学に入ることができました。

奨学金も借りてもいるので、現在の私のお給料で大学生活をまかなっていた部分もあります。

しかし、大学に入ってからわたしは大きな失態をしてしまいます。

人生につらくなり薬をたくさん飲んで、気がついたら病院に運ばれていました。

当然大学から親に連絡がいき、親が迎えに来るのですが…

母に病院代が高かったと怒られ、お金を請求される始末(笑)

 

…これが私の転機でした。

どうせ生きなきゃならないなら、どうにかしてでもこの環境から逃げ出そうと決意をしたのです。

思いっきり足掻いてやろうと決意したのです。

「とにかく心を少しでも回復させよう」

「なんとかお金を作って病院に行こう」

しかしながら、大学生でバイトもろくに続けられない私にはできることなんて限られてました。

おまけに定期代やは教科書代やら、大学生ってお金かかるんですよね。

今でも思い返すと悲しい気持ちになりますが、私は好きでもない男性と交際をし、支援をしてもらうという手段を取りました。

ただ、好きでもない人と平気で付き合えるほど器用な人間ではないので、継続的な恋人関係でいることはできませんでした。

休みがちなバイトと好きでもない男性とのお付き合いを辞めては繰り返すという悪循環のなか、なんとか通院費用を稼ぎました。

お金に困り果てて、付き合ってもない男性相手に体を削ってお金を得るような経験もしたこともあります。

この経験については本当に後悔していますが、当時の私にはこれ以外に手段がなかったということもまた事実なのです。

お金を得るために身も心も削っていたため、病院に行ったところで効果ないんじゃないの?って思った人もいると思います。

大きくはないけれど、ちゃんと効果はありました。

自分に合うドクター、そして薬が見つかったことが大きな理由です。

元気になったというよりは、何もできなくなるような最悪な状態になる頻度が減りました。

そして、正常な思考回路で物を考えられる時間が増えました。

自分に合ったドクターと薬が見つかって少し経った頃に、事態は好転しました。

大学の友人がお母さんに私のことを相談してくれたらしく、友人のお母さんがわたしに手を差し伸べてくれたんです。

私が家族のもとにいると精神衛生上よくないとお家に長期間滞在させてくれたり、庭の雑草むしりなどの家事をお仕事として私に託してくれました。

そして、自立支援医療という精神通院にかかる費用を減らす制度を見つけてくれて、通院代をかなり減額することができました。

これをきっかけに、男性関連の縁を断つこともできました。

一人暮らしへの道のりも甘くはなかった。

心の波が激しいため、単位をたくさん落としましたが、周囲の助けもありなんとか大学を卒業。

その頃には、薬を飲めば多少は働ける体になっていました。

完治したわけではないので休み休みですが、初期と比べれば働ける状態の日が断然増えました。

我が家には、学生を終えたら家を出なくてはならないルールがあります。

金銭的に完全なる自立を求められました。

しかし、就活も色々とトラブルがありまして。

これは書くと長いので割愛します(笑)

とにかくすぐに働ける仕事を見つける必要があったため、契約社員として仕事をスタート。

仕事を休むことも多かったですが、割とゆるい職場だったのでなんとかクビにならず続けることができたのが不幸中の幸いです(笑)

当時、すぐに家を出れるほどの資金もなかったのでストイックに貯金をしました。

外食、お菓子、洋服。
自分の楽しみのための買い物をすべて我慢して、最低限で暮らしました。

唯一の楽しみは、金曜に自分へのご褒美で100円のジュースを買うことくらい。

あまりに辛くて、友人の前でディズニーランドに行きたいと大号泣したことを今でも覚えています(笑)

自分でお金を稼いでいるはずの大人がこんな事で泣くなんて滑稽ですよね。

でも本当につらかったんです。

メンタルが壊れかけている中なんとか出社して、仕事が終わったらまっすぐ実家に帰りますが家では親から心ない言葉を投げつけられる。

そんな地獄のような往復を何度繰り返しても、楽しみは週に1回のジュースです。

それでも私はディズニーランドにも行かず、家を出るまでは我慢を続けました。

結局、家を出る資金を作るまでに8ヶ月を要しました。

そんなにお給料も高くはないですし、仕事も休み休みだったので時間がかかったんです。

家の契約はすべて自分で済ませ、ようやく家族から離れることができました。

1人暮らしを始めてからも、正直苦労は多かったです。

長期休みなんかは、飲まず食わず締め切りの部屋で全日過ごしていましたし(笑)

しかし、家族から離れ、自分にとってプラスになる人間関係を構築するようになってから心の回復は確実に早まりました。

【アダルトチルドレン克服】毒親育ちの私が立ち直った5つの方法わたしは10年間ほどアダルトチルドレン特有の生きづらさに苦しんでいました。 当時のわたしは、アダルトチルドレンという言葉も知らず....

26年間の人生を振り返って思うこと。

わたしが薬・病院なしでもそこそこの水準で生きられるようになったのは、1人暮らしを始めて1年ちょっと経った頃の話です。

24歳でようやくここまで這い上がってこれました。

現在わたしは26歳。

お恥ずかしながら、苦しい過去を乗り越えられたのは、つい最近の話なんです。

過去振り返ったときに、どうやってこんな苦しみを乗り越えたのかと考えました。

わたしの場合、この3つ姿勢を忘れなかったから今があるといえます。

  1. 諦めないこと。
  2. 頼れる人には頼ること。
  3. 勇気を育むこと。

諦めないことは、自分なりに頑張れる範囲で頑張ることを意味しています。

頑張れない時があるのは当たり前なので、そんな時はお休みしていい。

弱音も吐いていい。

ただ、頑張ることを諦めないでほしい。

人生を変えるには、行動するしかないんです。

いつなんどきも行動し続けるという意味ではなく、頑張れる時に少しだけ頑張ってみてほしい。

その繰り返しこそが、未来を変えます。

頼れる人には頼ることは、正直、今でも私の苦手分野です(笑)

ただ、全てを自分で抱え込んでいると、八方塞がりな状態になりやすいです。

頼れる人には力をかしてもらう。

いないのであれば、自分でコミュニティを作る。

難しいことではありますが、「諦めないこと」で伝えた通りで、頑張れる範囲で行動してみることが大切です。

自分のペースで少しずつ前に進めればいいんです。

勇気を育むことは、行動するために必要な勇気を育むこと。

勇気って最初から装備されているというよりも、経験から育むものだと思っていて。

誰かに頼りながら、少しずつ挑戦を繰り返し、自分の勇気を育ててみてほしいなと思います。

わたしも一生懸命、勇気を育て続けています!

人生の再スタート地点、ここからどう歩んでいくか。

ここまで長々と、オブラートに包みながらも気持ちのままに文章を書きなぐってしまいました。

まだわたしの人生の大半は苦しかった過去に埋め尽くされているので、ここからが自分の人生だと思っています。

人生の再スタート地点にようやく立てた、という気持ちです。

ブログを始めたキッカケは複数あるのですが、過去の経験から学んだことを発信することで誰かの力になれないかと思ったのもひとつの理由でした。

様々なジャンルの記事を書いていますが、わたしが苦労から得た人生を生き抜くためのライフハックについてはこれからも発信していく予定でいます。

記事の更新に時間はかかってしまうけど、発信し続けます。

また、過去の経験だけでなく、これから自分の人生をさらに切り開いていく過程もお伝えできるよう精一杯生きていきます。

ブログやTwitterから、セトの頑張りを見守ってくれる人がいたらうれしいです。